誰といても、むなしくて、寂しくて仕方がない
生きている実感を取り戻す
「誰といても、むなしくて、寂しくて仕方がない」こんな悩みを持った方が内観を体験されました。内観後のお手紙を紹介致します。
集中内観研修後の手紙
こんばんわ。今日はわりあいと暖かかったですな。友人と二人で井の頭公園あたりで楽器を練習したりしておりました。昨年11月頃、私は非常に精神的にきつい時期におりました。何をしても、誰といても、むなしくて、寂しくて仕方がないのです。どうしようもなく孤独感を感じてしまい、生きていても仕方がないとすら感じていました。
そこで1週間ほど、内観というものに行って参りました。内観というのは、自分の過去を調べていく作業です。日本発祥のセラピーとして、今は世界に広まっているものです。
何度か友達に話を聞いており、一度いってみたいなと思っていました。内観を更に具体的に言うと母親、父親を中心に自分の周りの人にたいして してもらったこと、して返したこと、ご迷惑をおかけしたことを 年齢順に調べていくんですね。屏風に囲われたところに静かに座って、例えば小学校低学年に母親にしてもらったこと、というのを時間かけて思い出します。
内観面接は「この時間はどんなことを調べて下さいましたか?」と聞かれます。そこで 小学校低学年の頃の母親に対する自分を調べました。」と応えます。「どんなことがみつかりましたか。」 と聞かれます。毎日、朝ごはんを作って下さいました。して返したことはありません。お皿を洗いましたが、それは自分の食べたお皿でした。迷惑をかけたことは、朝寝坊して、起きなさいと言われても なかなか起きませんでした。
これを一日15時間、それを7日間、ぶっつづけでやりました。食事は出ます。お風呂も入ります。夜は寝ます。でもそれ以外はずっと、ひたすら思い出すわけです。最初はなかなか見つかりません。してもらったことなんてあってっけなぁ? してもらうべきことをしてもらってないことならあるのになぁとか、絶対に感謝なんかしてたまるかとか、そういう態度なわけです。
しかし、次第に、その抵抗にも疲れてきて、ふと見え出すんです。お母さんは体は弱かったなぁ。朝起きるのも大変だったろうに。毎日、起きて、朝ごはんを用意して、僕を起こして、ご飯を食べさせてくれ、送り出した後は、お皿を洗って、洗濯と掃除をしてくれ、買い物に行き、夕飯の準備をし、お風呂を暖めておいてくれ、、、
はじめはそんなことはあたりまえだと思っていました。しかし、これが1年のうちに365回。10年のうちに3650回。そのうちに、2回や3回、十分でなかったときもありましたが、残りの3647回は毎回、何も言わず、見返りを求めることもなく、ただひたすらに、お母さんは僕につくしてくれた。 、、、ということが見え始めました。このときの衝撃をどんな風に言ったらよろしいでしょうか。何度かやるうちに、ふと、もっとびっくりすることを思い出しました。
母親は、僕を産んでくれたのです。もともと体の弱い人でした。その人が自分の命を削って、産んでくれた、ということ。それに気づいた時、声をあげてなきました。号泣というものを生まれて初めてしました。これらのことを、私は今まで、本当にあたりまえのことだと思っており、してくれなかったことについて不満をもって生きていた、と気づきました
それから、ずいぶんと世の中が変わって見えるようになりました。今、改めて言えることは、過去には自分を元気にする力があるということ。どんな人でも、世話になったことがあると思います。たとえ、自分は一人だと思っていても。実際、僕はそうだったわけですが。それを思い出し、心にとどめるということは間違いなく人生を変えます。