北陸内観研修所

自分を変えたい

「心のタイムマシーン」私が感じた集中内観 前半

集中内観体験記

「何のために生まれ、何のために生きるのか」そんな疑問を胸に、北陸内観研修所にて集中内観を体験された方の感想文をご紹介します。

 

自分が嫌いな子供でした

 

わがままいっぱいの幼少期

家族は共働きの両親と3歳年上の兄の4人です。私は末っ子としてわがままいっぱいに育ちました。
父はサラリーマンで単身赴任が多く、一年の半分くらいは家にいませんでした。
母は小学校教師で家事や育児に追われ、いつも忙しそうにしていました。
「もっと甘えたい」「さみしい」そんな思いがいつもありました。
久々に帰ってくる父を心待ちにし、よく遊んでもらいました。
私は、おとなしい兄に比べ、よく叱られました。母の顔色を見ながら、良い子を演じ、親の目を盗んではいろいろと悪いこともしました。

でも結局は見つかって、こっぴどく叱られることが多々ありました。
褒められたくて、子供のころからパッと目立つことをして、コツコツ努力することが苦手でした。何事も継続できず、飽き性で、意志の弱い性格。遅刻や忘れ物が多く、約束が守れず、片付けや整理整頓が苦手。こんな自分が嫌いでした。

人の評価に一喜一憂

中学校ではクラブ活動に熱中していました。高校に入ると途端にやる気がなくなり、何事も面倒で、急に人との接し方が不自然になり、こんな自分ではダメだと責めていました。人の視線が気になり、人の評価に一喜一憂し、心は常に不安定でした。
いつも何か物足りなさを感じ、その心を満たすには、欲しいものを手に入れ、自分を着飾り、したいことをして、何でもいいから目標を決めて、それを叶えればいいんだと思い、日中、両親が仕事でいないことをいいことに、やりたい放題でした。
どれだけほしいものを手に入れても、心の中の苦しみは消えず、心身ともにへとへとになっていました。

そのとき病院に行けば、うつ病と診断されたかもしれません。
こんな弱い自分を人に知られたくない。と思い、いろいろな本を読み、答えを探しましたが見つからず、
私は何のために生まれ、何のために生きているのか、出口の見えない暗闇にいるような感覚でした。
社会人になっても、その苦しみは消えることはありませんでした。

ヨガとの出会い、でも…

30代でヨガに出会い、ヨガインストラクターに転職。身体を動かすヨガも一時は私の心を夢中にさせてくれて、苦しみを和らげてくれました。でも、人との競争心が湧き、「もっとできるようになりたい。1番でありたい。」という思いが、リラックスするためのヨガと真逆のものになっていることに気付きました。

私はいったい何を求めているのか。幸せとは何か。ずっと自問自答していました。
その頃、ヨガ哲学に興味を持ち、本の中に『すべては自分の中に答えがある。』という言葉に出会いました。
そのとき、素直にその言葉は受け入れられず、でも、その言葉が心に残りました。
そしてヨガの瞑想をし、自分の納得のいく答えを探していました。

 

集中内観と出会って

変な宗教だったらどうしよう…はじめは不安でした

ヨガの瞑想を1年くらい続けた頃、なかなか自分には変化が感じられない。と疑問を持ち始めました。そのタイミングで、知り合いの方に、今、ヨガの瞑想をしていると話をしたら、集中内観を勧めていただきました。

聞くところによると、「7日間、ひたすら自分を見つめる」という。
自分の心なのに、自分がわからない。どうしようもない八方塞がりだったので、「行ってみます!」と即答したものの、不安もありました。変な宗教だったらどうしよう。HPを調べても、実態がよくわからない。でも体験することは無駄ではない、合わないと思ったらすぐにやめれば良い。そう思って、その年の年末年始の休みを利用して、白銀の世界の富山の北陸内観研修所へ、7泊8日間の集中内観に行きました。

北陸内観研修所に到着。でも帰りたい気持ちに…

研修所の応接室で、集中内観の目的などを書きます。このとき、私は「何のために生まれて、何のために生きるのかを知りたい」と書きました。
集中内観の説明を聞き、八畳一間の綺麗な和室に案内され、部屋の角に屏風が立てられた、その中に座って自分を見つめます。
スマホも本もテレビもなし。研修所内で人と会っても挨拶も言葉も交わさない。
ヨガの瞑想合宿で少しそういう経験があったので、抵抗感はなかったものの、さすがに8日間は長いなぁ~。

もうすでに帰りたい気持ちがありました。
無理を言って、仕事の休みをもらって来たのだから、すぐに帰るわけにいかないし、富山まで来たのだから、とりあえずやってみよう。そう思って座りました

 

集中内観のやり方

とりあえずやってみよう、そんな想いでスタート。

まずは母親に対して、
小学校低学年の3年間を調べます。

①お世話になったこと

②して返したこと

③ご迷惑をおかけしたこと

の項目に沿って年代順に自分の心を見つめていきます。
はじめは「ごはん作ってくれたこと。洗濯物してくれたこと。・・・」そんなことだけで、ほとんど思い出せません。
すぐにお風呂の時間となり、『入浴中も1分1秒を惜しんで内観してください。』という張り紙がありました。他ごとを考えていて、ハッと気づき、また過去の記憶をたどります。

面接の方が1時間~1時間半に1回くらい来られ、そこで調べた3項目について2~3分にまとめて話します。基本的に面接の方は聞いてくださるのみ。いつ来られるかわからないので、ある程度の緊張感があり、集中できないなりにも、懸命に思い出そうとします。

そうしているうちに夕食となり、お部屋に手作りのお膳を運んでくださり、屏風の中でいただきます。食事の際は、他の人の過去の内観体験のCDを1時間ほど聞きます。
夕食の後は21時まで内観し、消灯。ぐっすりよく寝ました。

あっという間の1日目、眠くなりながら2日目、3日目へと

内観2日目~4日目
翌朝は5時に起床。布団を片付け、洗面を済ませたら、屏風の中に座って内観をします。
朝の1回目の面接が終わったら、20分間の掃除の時間。毎日掃除するので、あちこちぴかぴか。目には見えないけど、掃除してみると、一日で埃は少し溜まるのだなぁ。
掃除の後は、また他の人の過去の体験のCDを聞きながら朝食の時間。スマホもテレビもなく、ひたすら自分の内側を見つめていくので、唯一の息抜きの時間でもあります。他の人の体験を聞いていると、自分にも同じようなことがあったなと、その体験談を糸口に、少しずつ自分の過去の一部分がひも解かれていきます。

面接の方が来られる度に、思い出したことを話し、3年~5年刻みで内観3項目に沿って調べていきます。母親が終わったら、父親、配偶者、祖父母、兄弟など、順番に調べていきます。
こんな風に5時に起床してから、掃除、朝食、昼食、お風呂、夕食と一日の流れがあり、夜の21時まで内観します。
座って自分を見つめると、すぐに舟をこいでしまいます。初めの4日間くらいは眠くてすぐに居眠りしていました。
それでも、面接の方が来られるので、多少の緊張感を持ち、睡魔と闘いながら、何とか自分を見つめていきました。

4日目、体験CDを聞いていると…

体験のCDを聞いていると、4日目くらいから多くの内観者が、深い気づきとともに、こみあげてきたり、気付いたり、感動したりしているのですが、私は何にも変化がなく、ようやく睡魔が収まった頃でした。

それでも少し集中できるようになってきました。
母親、父親の次にまた母親を調べました。
母親に対して、よく怒る、怖い、厳しい、などマイナスのイメージを持っていたことを思い出しました。
それに対して、父親は優しい、誉めてくれる、よく遊んでくれることを思い出し、両親に対して偏った思いを抱いていることに気づきました。

5日目、ようやく集中して、いろいろと思い出せるように…

内観5日目に入り、集中できるようになり、母親の2回目が思い出しやすくなっていました。
習い事の帰り道、暗くなるので、いつも心配して迎えにきてくれていたな。

私が風邪で寝込んだときは、心配そうに私を見つめる母の目が優しかったな。その優しさを求めて、また仮病を使ったこともあったなぁ。そんな風に、お世話になったことを、具体的にいろいろと思い出せるようになってきました。

それに比べてお返ししたことが全然ないことに驚きました。肩たたきや洗濯物をたたむ、食器洗いなど、ポツポツとは出てきますが、その時の心は「めんどくさいなぁ。やりたくないな。」と思いながらやっていました。

ご迷惑をおかけしたことは、あまりにも多すぎて、自分はなんとわがままな子供だったのかと、申し訳なさでいっぱいになりました。
母は、一緒に遊んでくれることは少なかったけど、いつも学校の仕事をしながら、家庭では手作りの食事、掃除、洗濯、私たちのために、家事全般をずっとお世話して支えてくれていたんだ。それが子供のころは「大変そう。家事はしたくない。父や兄は家事しなくていいのに、どうして女の人がやらなきゃいけないの?私は男の子に生まれたかった!」とさえ思っていました。

6日目、苦しかった時代を思い出せない…

内観6日目、高校の精神的に苦しかった時代は、なかなか思い出せませんでした。両親との関係も、この頃は非常に悪く、あれほど懐いていた父とも険悪の状態となっていました。

母親とのことを調べていて思いました。はじめに書いた集中内観の目的「何のために生まれて、何のために生きるのかを知りたい」と関係ないけど、これでいいのかな?という思いがたびたび出てきました。しかし、とにかく内観に集中するよう心掛けました。

内観7日目の朝、まだ心の中に何か引っかかっていて、すっきりしない感じでした。
長島所長に、「もう一度お母さんを調べてみられますか?」と言われた時、(えー、もう2回も調べたから、やだなぁ)と内心は抵抗感でいっぱいでしたが、3度目を調べてみることにしました。

 

180度の大転換!

 

7日目、全てのことが『当たり前』から『お陰さま』に

母の3回目を調べたとき、四角四面で、厳しく、いつも私を小さな枠の中に閉じ込めているように感じていましたが、実は、母は私がやりたいことはなんでも体験できるように、手助けをしてくれていたことが思い出されました。
駄目だとブレーキをかけられたのは、いつも私の身に危険が及びそうなときだけだったのです。
それ以外はいつも応援してくれていたのです。

ブレーキをかけられたことだけを根に持ち、たくさんのしていただいたことは、全く見えていなかったのです。
それはほんの小さなひとつの気づきでしたが、何かずっと引っかかっていたものが急に取れたかのように、
「そうか!そういうことだったのか!」と、今まで内観してきたことが繋がり、物の見方が180度ひっくり返りました。
全てのできごとが『当たり前』から『お陰さま』に変わったのです。それは内観7日目の夕方でした。

子どもの頃から、母や父がして下さった数々のことは、決して当たり前ではなかった。
たくさんの愛や支え、助けをいただきながら生かされていることにようやく気づいたのです。
自分の力で生きていると勘違いしていたのです。
わかっているようで、全然わかっていなかったんだ。頭だけで感謝していたんだ。
有難さが心の奥底からこみあげてきて、涙が止まりませんでした。

心の底からの涙、感謝、生きる気力が湧いてきました

自分ひとりでは生きられない。誰ひとり意味のない人はいない。
織物の様にたくさんの糸が交差し、すべてが互いに支え合って生きているイメージが頭の中に浮かんできました。
当たり前と思っていると、不平不満ばかりが出てきて、もっともっとと求める心に終わりはなく、自分さえよければいいという思いが湧いて、結局は自分で苦しみを作っていたのだと気づきました。

私はすでに幸せの中にいたんだ。
お陰さまに気付けた分だけ、今ここにある幸せを感じられるんだ。

子どもの頃から、親にしてもらうのは当たり前。
自分がしたことは、これだけしてやったのに。
あの人にこんなこと言われた、あんなことされた。と、内観3項目とは真逆の見方が、普段の基準となっていたのです。

人から良く思われたい。自分が1番でありたい。自分を高く置き、虚栄心の塊になっていたのです。頑張る原動力が、人からの賞賛や承認を得ることであるために、心の奥底から気力が湧かず、何事も続かない。
内観をしていると、自分で高く積み上げた虚栄心が崩れていくようで、心が解放され楽になっていきました。
どんな自分であっても、受け入れ、愛情を注ぎ続けてくれていた両親をはじめ、周りのみなさんのあたたかい心を感じ、感謝と同時にお返ししたいという気持ちが湧いてきました。今、自分にできることを一生懸命してお返ししていこう。腹の底がギュッと引き締まり、生きる気力が湧いてくる思いでした。

1回目の集中内観は、とても素晴らしい体験でした。
次回は、集中内観体験後の日常に戻ってからの変化について。
そして、私が感じた「集中内観」のメリットとデメリットについても触れてみたいと思います。

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