なぜ内観をするのか?
なぜ内観をするのか?
今回は、「内観とは何か。なぜ内観をするのか。どういう効果が考えられるのか」をテーマに、集中内観を6回経験された40代女性の方にブログを書いていただきました。内観の創始者である吉本伊信氏の言葉を用いながら、ご自身の内観体験を通してまとめられています。
人生の悩み。原因はどこにあるのでしょうか・・・
親子兄弟、親戚関係がうまくいかない。嫁姑問題。夫婦の不仲などの家庭の不調和。
上司や同僚、部下、取引先とうまくいかないなどの会社での問題。
人間不信。人が尊敬できない。やる気が出ない。継続できない。自分の思い通りにいかないなどの自分の心の問題。
人生でこういった悩みは尽きないもので、心が常に穏やかで調和されていることは少なく、怒りや恨み、妬み、誹り、愚痴、欲望に翻弄されてしまいます。
その原因はどこにあるのでしょうか。
あの人がこうしたから、
あの人のせいで私はこうなった。
私は悪くない。
相手に原因があるのでしょうか。
怒って心を乱して苦しんでいるのは他でもない自分自身で、同じ状況にあって、怒る人、泣く人、我慢する人、気にしない人、喜ぶ人、無視する人、人のせいにする人、反省する人、謝る人、感謝する人、人によって反応はさまざまです。
なぜ違うのでしょうか。
原因はどこにあるのでしょうか。
内観は、自分の原点を見つめるものではないかと思います。
生まれてすぐの赤ん坊は、無邪気です。
私たちも赤ん坊の頃がありました。
赤ちゃんは怒りや恨みを持ちません。
いつから怒るようになったのでしょう。
いつから恨むようになったのでしょう。
同じ立場にあって、人それぞれに反応が違うのは、なぜなのでしょう。
「母親に対する自分」を思い出す大切さ
生まれた育った環境やまわりの人からの教育、国の文化や習慣の中で、私たちは成長し、いろいろな習慣や知恵を身につけて、性格を形成していきます。
7〜9歳くらいまでに、基本的な性格は形成されると聞いたことがあります。
内観では、その中で最も関わりの深い母親もしくは育ての親との関係を見ていきます。
その時の重要なポイントは、相手を見るのではなく、母親(育ての親)に対しての【自分】を調べることです。
内観創始者の吉本伊信氏は、「母親(育ての親)についての自分を繰り返し何度もよく調べてください。」と言われていました。
『大きなビルディングを建てる前に
地下に深く基礎工事をするように
内観は人生の地下工事です』
(※『 』は吉本伊信氏の言葉です)
怒りとなって現れる感情は、木の葉に過ぎず、その原因である根本を何度も繰り返し内観していきます。
水漏れがあれば、その漏れている場所だけにテープを貼って一時的に漏れを防いでも、やがては他の場所から水が漏れ、一時的な応急処置を続けても、やがては溢れかえってしまいます。
水の出ている根本から止めなければ水漏れは治りません。
自分の礎(いしづえ)を見つめるのが、内観ではないかと思います。
日常生活では外に目が向き、常に外部からの刺激によって心は波うち、いろんな感情や思いにとらわれ常に忙しい状態です。
過去のことを引きずって考え込んだり、悔やんだり、また喜びに浸ったり、そうかと思えば、まだ起きてない未来のことを心配したりしています。
具体的な「内観のやり方」
内観は、静かな場所に座り、外部からの情報や刺激をなるべく遮断して、じっくり自分を見つめていきます。
特に集中内観では、スマホや本などを一切預けて、他の内観者とも会話せず、朝5時から夜の21時までの16時間、屏風の中に座って、生まれて(思い出しやすい小学校1〜3年)から現在に至るまで、3〜5年ごとに区切って、年代順に、主に母親(育ての親)に対する『自分』を調べます。
1.「お世話になったこと」
母親(育ての親)に自分は何をしてもらったか。
2.「お返ししたこと」
それに対して、自分は何をして返したか。
3.「ご迷惑をおかけしたこと」
母親に迷惑をかけたことはなかったか。
何度も繰り返し調べていきます。
臭いものには蓋をするように、自分自身を見つめることは見たくないこと、思い出したくない過去もあります。心についた垢を大掃除するようなものです。何十年と放っておいた心の部屋を開けるわけですから、怖さもあるかもしれません。でもいっぺんに掃除はできず、できるのはひとつひとつです。
ゴシゴシ磨く際には、多少の痛みも伴うかもしれません。でも磨いた後の爽快感、気持ちよさは、誰もが知っている経験です。
内観は、思い出したくない過去だけでなく、同時に心あたたまる過去も思い出させてくれます。
汚れを磨けば原石が光るように、心の奥深くにある喜び、優しさ、幸せが輝きだしてくる。そんな体験だと思います。
1週間、心の大掃除をしてみませんか。
どれだけ美味しい話を聞いても、本当に食べてみなければ、その味はわからないように、1週間後に感じる晴れやかな気持ちは、体験した人でなければわかりません。
『内観は魂の大手術です』
吉本伊信氏の言葉です。また内観の大切さをこのようにもたとえています。
『内観は人間に生まれて来たことの
最大最終の目的です』
『もし内観したいという心が動いた時は
たとえ田植えの最中でも
どれだけ忙しくても、すぐに来て下さい』
昔のお百姓さんにとって、田植えは生活や生命に関わるほど大切な仕事です。
現代社会では、仕事や育児、介護などさまざまな状況で1週間お休みを取ることは難しいかもしれません。
ある会社の社長さんは、集中内観を体験し、自分を見つめることの大切さを感じられ、知り合いに内観を勧めるときに、相手が忙しくてなかなか時間が取れないと迷っておられたら「もし病気で1週間緊急入院することになったら、1週間休むしかない。その思いで行かれてもよいくらい、内観は良いですよ。」と勧められるそうです。
多くの情報社会の中で、外に意識が向き、心ココに在らず。忙しさで心を亡くしてしまいそうになります。
人生において何が大切か、常に自分に問いかけたいと思います.
内観法ができるまで
さて、ここで内観法ができた経緯にも少し触れておきます。
内観法は、奈良県郡山市の故吉本伊信氏が創始した自己探求法で、日本発祥の心理療法の一つでもあります。 浄土真宗の一派に伝わる修行法の 「身調べ」 を改良し、宗教色を取り除き、誰でも取り組める自己修養法として、1941年頃に現在の「内観法」 に近いかたちを考案しました。 その後、 1951年頃には刑務所などでの矯正教育界の普及を皮切りに、学校教育、 病院、 会社の企業研修、 一般社会へと普及しました。
内観の種類「集中内観」と「日常内観」
内観法には、集中内観と日常内観があります。
集中内観は、1週間内観研修所に泊り込みで集中的に行います。
日常内観は、日常生活の中で分散的に行います。
吉本伊信氏は、この2つについてこう言われています。
『集中内観は基礎訓練
日常内観こそが本番』
『集中内観は入門式で卒業式ではない
自分に聴く耳をつけていただき
自分を観る眼をつけていただきたいだけ』
集中内観では、ものの見方が180度ひっくり返るような大きな心の変化や感動を経験される方が多い一方、そこで満足してやめてしまう人が多いのも事実です。
しかし、どんなお稽古事でも、一週間では身につきません。
それと同じように、心の修養も継続が最も大切だと言われています。
『集中内観を電柱にたとえれば
日常内観は電線のようなもの』
こうして継続していくことで、効果があらわれてきます。
どのような方が利用されるの?効果はあるの?
内観を続けていくと、 身近な人に支えられて生きていることを実感し、感謝の気持ちが湧き起こります。 子ども時代から現在までの人生を振り返る過程で、 自分の思考グセや思い込みに気づき、 自己成長が促されます。
当時は気づかなかった他者の状況の背景や想いを知り、 相手と和解しやすい心境となり、対人関係改善に役立ちます。
情動面のポジティブな変化は、集中内観の特徴です。 事実を客観的にとらえることにより、 自分や他者についての見方の変化が起こります。 「こだわり」「恨み」「憎しみ」「怒り」 が軽減されて気持ちが自由になり、心の安らぎが得られます。
囚われから解放され晴ればれとした気持ち、人が優しく感じる、家庭や職場での安心感や意欲向上など、体験された方から様々な声が寄せられています。 企業や組織においても対人関係の改善から組織の活性化を期待して内観が導入されています。
利用者の目的は、社員研修や病による苦しみの軽減、 不登校、 自己啓発など多種多様で、年齢も10代から90代までと幅広く、これらのことから内観法は目的や年齢を問わない、適応範囲の広いことが特徴です。
吉本伊信氏はこう言われています。
『内観の目的はどんな逆境にあっても
感謝報恩の気持ちで日暮らしできる
心境に大転換することです』
内観が深まるほど、自然とこのような心境に近づいていくと信じて、内観を継続していきたいと思います。
6回の集中内観体験
私は自分の体験として、1回目は衝撃的なものの見方の変化が起こりましたが、その後の計6回の集中内観と、その間の日常内観では、劇的な大転換というよりは、小さな変化や捉え直しが起きています。
新しいことも思い出しますが、基本的には、同じ場面を何度も繰り返し思い出します。
内観すると、当時の自分と大人になった今のとらえ方に大きな違いがあります。
子どものころは経験が浅く視野が狭いので、自分の都合のみで相手を見ていることがほとんどでした。
繰り返し調べていくと、当時はわからなかった周りの人の気持ちや状況が徐々に見えてきて、理解が深まっていく体験を何度かしました。
「過去の出来事の捉え直し」や「心の傷が癒える」体験
例えば、私は小学校に入っても、毎日のようにおねしょをしていました。夜になって、寝てしまうと自分の意志ではコントロールできないので、どうしていいかわかりませんでした。当時の母は、私のお尻を叩いて叱っていました。私はそれがとても嫌でした。母はすぐ怒るし怖いという嫌な思い出だけでした。
何度も調べていると、私の家庭は共働きで、当時の父は家事を一切しないという昔の考え方だったので、母は仕事から帰ってくると家事、育児に追われ、父が「ご飯は必ず手作りするように」と母に言っていて、母はそれを守っていました。
父は単身赴任で家にいないことが多く、たまに帰ってくるときはどんなに遅くとも、子どもと一緒に寝てしまわないように、起きて父の晩酌に付き合うようにと、母に言っていたそうです。
母は疲れや眠さをこらえながら、毎日私たち兄妹のお世話や、父の対応、そして学校の教師だったため、家族みんなが寝てから、明日の学校の授業の準備やテストの採点などの仕事を夜中にしていたのです。
やっと眠れたと思ったときに、私がおねしょで母を起こし、衣類や布団を洗ってもらっていたのです。
夜に1回だけではなく2回する時もありました。毎日のようにそんな生活が続くと、感情的に怒りたくなる気持ちがわかりました。
母として、妻として、学校の先生として、どこも手が抜けず、つらかっただろうなぁと心が痛みました。
私はそれをわかってあげられなかった。もう少し家事を積極的に手伝い、力になれればよかった。と大人になった今は、母に申し訳ない気持ちと、お世話をしてくれたことへの感謝の気持ちが湧いてきました。
また、母は私を妊娠中に病気になり、私を出産して1ケ月後に手術をするため、半年間入院しました。
3歳の兄と生後1ケ月の私は、祖父母の家に預けられました。
祖父母は農家で忙しく、生後1ケ月の私をおぶって仕事はできないので、兄だけを連れて畑の仕事に行っていました。私は家の中で一人で寝ていたと聞きました。「放っておいても泣かずに、一人でよく寝る子だった。」と、祖父母の家に行くたびに昔話を聞いていました。
母が退院して家族と暮らすようになってから、私は『人一倍寂しがり屋で、愛情を欲しがる子どもだった。』と聞きました。私の心の中にはいつも「寂しい」という思いがありました。
繰り返し見つめたことで繋がった思い
それがなぜかわからなかったのですが、何度も繰り返し思い出していくことで、生後半年間、一人で寝ることが多かったことが、人一倍の愛情を求めるようになったのだと、ようやく繋がったのです。
だからいつも無意識に父や母にスキンシップや愛情を求め、両親の意識が自分に向いていないと、不安で両親の気を引こうとしていました。
そして、その寂しい思いがなかなか埋められなくて、どうすればよいかわからなかったのです。
何度も繰り返し見つめていきました。そうすると、ある時母の気持ちが心にスッと入ってきました。
3歳の兄と出産したばかりの私を置いて、半年間入院をし、手術をする母の心はどれだけ寂しく不安だったのだろう・・・。「絶対に治して家に帰る!」と母は強く心に誓ったはず、と思うと胸に込みあげてきました。
そして、祖父母の家から往復3時間かけて通勤した父。農家で忙しい中、兄や私のお世話をしてくれた祖父母、みんな精一杯私たちのために頑張ってくれていたのです。また、母の退院後、家族団らんの時間や旅行に行った思い出などが次々とよみがえってきました。「私はすでに幸せの中にいたんだ!」と気づきました。私の心にずっとあった「寂しい」という思いは、自然と癒され、両親をはじめたくさんの人の愛に包まれていたことを思い出し、心があたたかく満たされていました。
こうしたひとつひとつの捉え直しが、今現在も続いています。
『幸福はどこにも見えず
誰にも知れず
だけどみんなのそばにある』
森川りうさんの道のうたの1節がじーんときます。
内観を続けていると、昔の記憶が部分的に思い出され、まるでパズルのピースを見つけるような感じです。思い出の欠片がだんだん繋がっていきます。
パズルのピースが埋まっていく事で、等身大の自分の姿が徐々に見えてくるような、そんな感じがしています。