我執とはなにかを知った僧侶
僧侶の内観~驕りに気付いて~
老師からの勧めで内観された20代のお坊さんの内観感想文です。
内観を体験した結果に得られた、思い上がりなどの自分の我の強さへの気づきや、相手の気持ちを理解することの大切さについて述べられています。
集中内観研修後の感想文
内観研修に来た理由は自発的な事ではなく、人から言われたから来たという、意思の低さがあった。しかし、研修所に着いてからは自分の今までの人生を振り返って今の自分の修行に少しでも役立つものが得られればいいなと思っていた。
今までに自分の人生を振り返ることは何度かあったが、内観をしていく中で、今回ほど深くそして出来事だけでなくその時の心情をも思い出すということは初めてであった。多くの気づきを得られたと思う。
直接してもらったことや迷惑をかけたことは、すぐ思い出せた。一方、記憶を辿って思い出された間接的な出来事や、そこから出てきた自分の思いに対する気づきもあった。このような気づきは内観をしていくうちに少しずつ出てくるようになり、結果的に多くの気づきを得ることができた。
今、修業をしている僧堂において2年が経ち、多くの役職や立場を経験してきた。徐々に自身の我が大きくなり、また我を通そうとしてしまい先輩と衝突することがあった。それに対して反省しなければならなかったが反省することはなく、自分の方が正しいという思いが強かった。内観を通して、今まで人生でそのようなことを何度も繰り返してきたことが分かった。
今は子どもの頃とは違う。今後は自分の立場、その場のこと、相手の立場などを含めて自分がどうすればその場を円滑に動かすことができるかということを考え、できるようになりたいと思った。そのためにも自分の我を抑え相手の気持ちを少しでも理解することを大切にしていきたい。