祈りを深める~青年修道士の感謝~
祈りを阻害した「悲しみ」に目を向ける
キリスト教の修道士の青年が集中内観研修にお越しくださいました。
祈りを深めるとはどのようなことなのでしょうか?
内観を通して悲しみも受け入れることで、彼は神様に感謝と賛美を捧げられることができるようになりました。
集中内観研修後の感想文
今回、私は自分の祈りを深めるということをテーマにこの集中内観に臨みました。内観を始めてみると母や父のことを思い浮かべるのに付随して、幼少の頃から今に至るまでお世話になった人々の顔が思い起こされ、次第に没頭していけるようになりました。
自分の記憶の中で様々な人の顔を見、そして懐かしく思い起こすことは、苦しく、悲しい経験もあったとはいえ、それが嬉しく、とても幸せなことだと思えたからです。
多くの人々に生かされて、なかでも父と母とそして家族に本当に愛を注いでもらいました。それら全てに対して心の底から感謝の気持ちを感じるということは、全てを与えてくださった神様に感謝と賛美を捧げるということでもあります。
その感謝の念を深めるだけで、祈りはどれだけ豊かに、そして快いものとなるでしょうか。この内観を通じて、この体感を得られただけでも良かったと思いますし、その他にも感じたことはまだまだあります。
私は家族を本当に愛しているのに、家族を離れて修道生活に入ったことを、悲しく思っていたことです。私は自身の心を押し殺していと気付いた時はハッとさせられました。その悲しみから目をそむけ、受け入れないようにしていたのです。自分の修道生活への望みが揺らぐのではないかと恐れていたからです。
しかし、それによって私の祈りも阻害されていました。悲しみから目をそむけるのではなく、自分に対して心を開き全てを受け入れていくということ。それによってこそ喜びの道が開かれるのだと思います。
この度は貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。これからも自分の「内を観る」ことをたゆまず続けて行こうと思います。