北陸内観研修所

人生の転機に

転職を機にヴィパッサナー瞑想者が内観

やっかいな習性である貪瞋痴・価値的アンコンシャスバイアス・我欲に気付く

ヴィパッサナー瞑想を実践しておられる50代男性の方が、転職を機に内観されました。「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。その瞑想と内観との違いを分かりやすく感想文に書いてくださいました。


集中内観研修後の感想文

私は、ヴィパッサナー瞑想を実践しておりました。その瞑想会で参加者の方々が、内観の話題をされており、また、インストラクターの方が内観を勧めてくださったことで興味を持ちました。今回の集中内観で、なぜヴィパッサナー瞑想者に内観が必要か、腹落ちさせることができました。

ヴィパッサナー瞑想では、瞑想中の意識の中心対象を定め、瞑想中に立ち現れる雑念を「雑念」として意識化します。それが貪瞋痴から来るものであれば「我欲」「怒り」「迷っている」等とラベリングして、手放していきます。これを続けていく中で、執着のない心を育てていきます。貪瞋痴が出ても、それを瞬間的に自覚して、不善心所(善くない心)に陥るのを防ぐ等の効果があります。しかし貪瞋痴が発生するメカニズムである、その背景に触れることは出来ません。

今回の集中内観では、「迷惑をかけたこと」の中に、貪り(欲)や瞋恚(怒り)がしっかり心の奥底に入り込み、時には(知らない間に)巧妙に入り込んでいると知りました。内観を進める中で、自分の思考パターンを見直すきっかけとなりました。

また、自分のこうした思考、行動パターンの多くが幼少期の親、特に母親との関係性において培われたものと想像がつきました。今後、内観を深めさせていただくことで、より良く自分の癖を把握し、その上で周囲に迷惑をかけず、良い影響を与えられる人間になれると信じております。素晴らしい環境の中でよい体験、修行をさせていただきました。食事も美味しく体調も良くなりました。本当に有難うございました。

内観の効果「自分を客観視し、瑣末な行為にも、エゴ・我欲が働いていることに気付けました。また、親(特に母親)の視点でも、幼少期から自分を見つめな直すことができ、受けた恩の大きさに気づけました。


ヴィパッサナー瞑想を実践しておられる方が、内観されました。「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。

前回、アンコンシャス、バイアスという最先端の考え方で話を進めました。人の行動習性を決める価値的バイアスは、今に始まった教えではなく、仏教において、古来から人類の英知として諭されてきました。仏教は、宗教という一面と心理分析を語る一面を持っています。内観は、仏教を基盤とし、後者の心理分析を語る一面が色濃くあります。

仏教用語は難しく感じますが、とても普遍的な教えです。そして身近なもので、人間関係を良くするヒントが満載です。

今回は、「内観」と「悪い癖」と「ヴィパッサナー瞑想で意識化する三つの心の毒、貪瞋痴」を人間関係より説明します。
人は、悪い癖を「分かっているがやめられない」と嘆きます。例えば、ストレスがたまると怒りっぽいとか、苦手意識のある上司を避けてしまうなどです。それを改善すればもっと人間関係が良くなることが分かっているのに、つい現れてしまう厄介な習性です。

このやっかいな「癖」や「習性」を、仏教では我執と呼び、我執を貪瞋痴に分類しています。人間のもつ根元的な3つの悪徳のことです。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つです。これは三毒と言って、私たちの人生の苦しみの原因となる、心を蝕む毒のようなものだと教えます。

さて集中内観では、重要な内観テーマが2つあります。「母親に対する自分」と「嘘と盗み」です。内観の3項目の一つ「迷惑をかけたこと」は、自身の我執を示します。「迷惑をかけたこと」は、我執である「嘘と盗み」を分析することで意味合いが分かり、深まります。
北陸内観研修所では年代を区切って「嘘と盗み」を調べていただきます。特記することは、「嘘」の事象だけではなく、その起因も調べてもらいます。

すると「嘘」や「盗み」という「結果」に対する「原因」が、記憶の中から浮かんできます。因果関係から縁起が理解できると、それが「気づき」となります。「気づき」は、時間と日にちをかけてすることで分かってきます。内観を介して思い出し、人生の中で繰り返される「癖」になってしまったと理解できるようになります。すると「癖」や「習性」の根っこを癒せばいいと分かってきます。それは母親の関係の中で、幼い時に培われたものだと、因果関係を辿ると分かってくるのです。

培われた悲しい習性は、子ども時代の自分が「生き残る」ための手段だったと気づきます。
例えば、幼い時に弟が生まれ、母親が弟に奪われたとします。すると子どもの自分は、危機的な状況にあったとしても、母親の視線が弟にあるので守ってもらえません。そこで、母親の視線を引き付けるためにいたずらをする。すると母親に叱られる。「いたずら」と「叱られる」エピソードが繰り返されたり、さらに負の要素が加わると、「叱る」という因子が心の奥底に根付きます。

やっかいな習性は、自身を「生かす術」だと感じると、習性は自身を生かす術の為に生じたもので、「幼い自分も健気にいきている」と客観的に見られ、やっかいな習性が自己肯定感の材料と捉え直されます。これ以後は、一人ひとりの体験から紐解き、解放されます。

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